こちらはティーカップ☕😀
少し遊び心を取り入れてみました✨
デザインの伏線はまた後ほど回収します😛(笑)
【鎖樋の歴史】
鎖樋は、日本の建築様式の一つである数奇屋造りに用いられたことが始まりとなります。
数奇屋とよばれる建築が出現したのは安土桃山時代で、小さな茶座敷を「数奇屋」と呼んでいました。
茶人たちは格式ばった形や豪華な装飾を良しとせず、庶民の素朴な材料や技術をこだわりなく採用して数奇屋造りの建物が作られていました。
鎖樋も同様に素朴な材料が用いられ、当初は植物の棕櫚(しゅろ)の表皮の繊維を編んだ棕櫚縄を、竹や木で作られた樋から垂らして雨水を伝わらせ、鎖樋としていたそうです。
棕櫚縄を用いた鎖樋は、現在でも東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」へ移築された「三井八郎右衛門邸」の玄関横樋で利用されており、見ることができます。
時代が経ち、雨樋も竹や木の自然素材から作られていたものが、金属の加工技術が発達し、銅などの金属で雨樋が作られるようになります。
鎖樋も棕櫚縄から金属を鎖状に連結した形のものとなり、さらに発展して水の流れが良い金属製のカップ型のものが作られるようになっていきました。
和風建築専用の樋として日本で独自の進化を続けてきた鎖樋は、約半世紀ほど前に一般的な住宅にも少しずつ使われるようになりました。
その後、住宅の洋風化が進み使われる機会も少なくなっていましたが、近年ではその意匠の面白さから、建築家が和風の雰囲気を活かした建物に使用する場面や、現代的な商業ビルなどに取り入れファサードとして活用するなど、新たな活用方法が生まれています。
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Blog by 田中 涼【concept is 十人十家】
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